山東通信〜にくれんげ党〜
シャントンツウシン!!やりとり、および日々の感想と雑録
CATEGORY : 山
記憶はいつか妄想にかわる
DATE : 2007-11-10-Sat Comment 0
5年以上会っていなかった祖父が亡くなり、葬式に行ってきました。

会えない時間が愛を育てるわけでもなく、罪悪感ばかりがぱんぱんにふくらんで、20年ぶりくらいに会う親戚との対面に緊張感を募らせつつ。

しかしまあ、下の名前をちゃん付けであれだけ呼ばれることなど今後ないだろう、というほど懐かしがってもらえ、懐かしく思う再会にあふれておりました。

先日、東さんが「京都的コミュニケーション」について書いていましたが、関東地方出身の私の母は、その「京都的」なるものに大変なルサンチマンを抱いています。30年以上住んでも、まだよそ者扱い。私も、京都の親戚の中では、「あんたはなんか違う」と言われ続けています。一緒にされたくもないのだが。

それはつまり、ある価値観を共有することを要求しつつも、そもそもよそ者にはその価値観を共有することはできないのだ、というメッセージなのでしょう。

今回の葬儀で親戚達と話していて、こちらでは、「みんな違う」、ということが前提になっている気がしました。とてもラクです。京都ほど気負う必要はなかったと、行ってみて気づきました。
まあ、京都のほうは、全員が同じ職業、という特殊な事情があり、家族であることと生業を維持することが同時に達成されなければならないがゆえの価値観共有の過度の要求、だったのかもしれませんが。

ということを、かつて学生の頃、レポートに書いたことがありました。
読んでくれた先生もまた、京都で同じような職業に携わる家に育っており、
「京都の家には闇があるよな」
と、ニヤリと笑っていた。

それはともかく、一番衝撃を受けたこととしては、子供の頃肉と脂身とアイスクリームを主食とし、まるまる太っていたいとこの男の子Aが、かっこいい青年に成長していたことですね。せがんで写真を撮らせてもらった。

いとこの中で一番の年長である私は、葬儀後の食事にあぶれたいとこ達をつれて、いやつれられて、ファミレスで食事。代金を支払ったのですが、もりもり食らういとこ達を見てうっとりし、「ああ、ホストにはまる気持ちってこうゆうことかも」と思いました。いとこAは、「オレ、チーズケーキならホールで食えるよ!」と言って、3個ぐらい食らいおった。

わけのわからない長髪のいとこK(Aの兄)も、Aに対して「おい、ガキくせえことやってんじゃねえ!」などと食事中にはキレつつも、車の運転中には、右折して駐車場から出てくる車に道を譲ったり、と、なんかいい子なのでした。

あと、若者たちによると、白飯に塩をかけるのは、「常識」だそうです。
我々から下の世代は祖父のように長生きできんような気がしました。
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