夕食を食べる。
眠くなりベッドに横たわる。
そのまま眠る(電灯、テレビつけっぱなし)。
深夜目覚める。
食べかけのソルト&ビネガー味のポテトチップスを食べる。
眠る。
また目覚めて食べる。
眠る、を3回ほど繰り返して、ポテトチップスを食べ終わって眠る。
また目覚める。
今度はカットよっちゃんの、すり身シートはよけてイカっぽい部分のみを食べる。
眠る。
以上を3回ほど繰り返す。
出発準備ギリギリの時間に起床。
という不可解な行動は、昨晩に限ったことではなく、いつからか始まり、繰り返している。
最近は、1週間に1回くらい。
夢遊ではない、と思うのです。
食べている意識はある、と当人は思っているし、すり身シートをよけるという冷静な食べ方(すり身シートがきらいなのではなく、よけといて後でまとめて食べたいのである)もしている。
手が汚れたら、ちゃんとティッシュで拭き取っている。
お菓子の袋は、輪ゴムで閉じられている。
ただし、どう考えても明らかに壊れているところがある。
なぜ、ちょっと目覚めたその時に、食べたいと思うのか?
そしてなぜ、ベッドの上に何種類もの食べかけのお菓子があるのか?
とりあえず、眠る前にお菓子はベッドから遠ざけようと思います。
眠くなりベッドに横たわる。
そのまま眠る(電灯、テレビつけっぱなし)。
深夜目覚める。
食べかけのソルト&ビネガー味のポテトチップスを食べる。
眠る。
また目覚めて食べる。
眠る、を3回ほど繰り返して、ポテトチップスを食べ終わって眠る。
また目覚める。
今度はカットよっちゃんの、すり身シートはよけてイカっぽい部分のみを食べる。
眠る。
以上を3回ほど繰り返す。
出発準備ギリギリの時間に起床。
という不可解な行動は、昨晩に限ったことではなく、いつからか始まり、繰り返している。
最近は、1週間に1回くらい。
夢遊ではない、と思うのです。
食べている意識はある、と当人は思っているし、すり身シートをよけるという冷静な食べ方(すり身シートがきらいなのではなく、よけといて後でまとめて食べたいのである)もしている。
手が汚れたら、ちゃんとティッシュで拭き取っている。
お菓子の袋は、輪ゴムで閉じられている。
ただし、どう考えても明らかに壊れているところがある。
なぜ、ちょっと目覚めたその時に、食べたいと思うのか?
そしてなぜ、ベッドの上に何種類もの食べかけのお菓子があるのか?
とりあえず、眠る前にお菓子はベッドから遠ざけようと思います。
金曜日の夜に、マイケル・ジャクソンのTHIS IS ITを観てきました。
かなり良かったです。
お客さんは半分に満たないぐらいの入りでしたが、拍手がおこってたし。
何が良かったかというと、やはりダンスのすばらしさと一貫して静かで謙虚なマイケルの姿勢ですかね。50歳なのにとてもそうは見えないし、体の軸が全然ぶれないのです。やはり三つ子の魂百までといったことなのでしょうか。
そして、SHOWというものに対する力の入れ方がアメリカと日本ではえらくちがうなあと思いました。コルテオみたいなダンサーもいるし、映画並の特撮もあるし、ジャケットは燃えるし、マイケル以外のダンサーもすごいし。
やはり、KING OF POPですな。がっつりみるとやっぱり笑うよりもスゴイが勝るもの。
上映終了後ロビーでサラリーマン二人連れが、「あいつやっぱすごいなあー」といってたのが面白かったです。MJをあいつ呼ばわりとは!

で、土曜日は打って変わって文楽を観に行ったんですがいろいろと失敗しました。
まず、ちょっと遅刻しちゃったし、4時間のうち1時間弱ぐらいは居眠りをしてしまったし、それにメガネを忘れてしまって、なんだかぼやけてしまったし、しかも、2時間ぐらい経ったときにハタ!と、これ私の観たかった演目ではない!ということに気づいたのでした。遅い遅すぎるよ。
心中天網島を観てたんですけど、観たかったのは芦屋道満大内鑑だったのよね。心中ものは辛気臭いから、ファンタジーといっても陰陽師とかですけど、がいいなあと思ってたんだけど、どうも、一部と二部が中盤で入れ替わるというのを見逃していて、まんまと辛気臭いもんを見ることになりました。チケットも当日発見だったし、ちょっと寝てたんでナカナカ気づかなかったなりよ。いや、狐とか出てこないし、変だなあとは思ってたんだけどね。
とはいえ、おもしろかったですよ。なんか駄洒落みたいな節回しとか、放送禁止用語がバンバン出てくるところとか、阿呆は阿呆なだけあってみたいな言い様とか、あと越後屋?みたいな町人が箒でエアギターみたいなことする場面とか(文楽を深く理解している人から見れば失礼な解釈だとは思うけれど、そう見えたのね)。
舞台の上部に、全部台詞が映されるのが良いのか悪いのか。必死で聴こうとして理解する方がいいんじゃないのかしら。ちんぷんかんぷんなとこも多いけど、字幕でネタバレじゃないですか。
で、パンフレット確か650円だったのだけれど、そのわりにはしっかりしたつくりで、台詞が全部書いた本とか、ポスターのような相関図とかもあって随分お得でした。メガネをかけて、予習をして、もうちょっと前の真ん中の席でみたいなあと思いました。
私がものをしらなさすぎるのかいちばん驚いたのは、劇場内が明るいことかな。そのせいで、余計集中できないし、くっきりしないんだと思うのだけれど、なんか意味があるのでしょうか。まあ、寝ている人もすぐわかってしまうし。
しかし、心中した男女は二人ともあたしより若かったワ。19と27。27なのに紙屋には三人も子どもがいるし。しかし、最後の段は見ごたえがありましたよう。
かなり良かったです。
お客さんは半分に満たないぐらいの入りでしたが、拍手がおこってたし。
何が良かったかというと、やはりダンスのすばらしさと一貫して静かで謙虚なマイケルの姿勢ですかね。50歳なのにとてもそうは見えないし、体の軸が全然ぶれないのです。やはり三つ子の魂百までといったことなのでしょうか。
そして、SHOWというものに対する力の入れ方がアメリカと日本ではえらくちがうなあと思いました。コルテオみたいなダンサーもいるし、映画並の特撮もあるし、ジャケットは燃えるし、マイケル以外のダンサーもすごいし。
やはり、KING OF POPですな。がっつりみるとやっぱり笑うよりもスゴイが勝るもの。
上映終了後ロビーでサラリーマン二人連れが、「あいつやっぱすごいなあー」といってたのが面白かったです。MJをあいつ呼ばわりとは!

で、土曜日は打って変わって文楽を観に行ったんですがいろいろと失敗しました。
まず、ちょっと遅刻しちゃったし、4時間のうち1時間弱ぐらいは居眠りをしてしまったし、それにメガネを忘れてしまって、なんだかぼやけてしまったし、しかも、2時間ぐらい経ったときにハタ!と、これ私の観たかった演目ではない!ということに気づいたのでした。遅い遅すぎるよ。
心中天網島を観てたんですけど、観たかったのは芦屋道満大内鑑だったのよね。心中ものは辛気臭いから、ファンタジーといっても陰陽師とかですけど、がいいなあと思ってたんだけど、どうも、一部と二部が中盤で入れ替わるというのを見逃していて、まんまと辛気臭いもんを見ることになりました。チケットも当日発見だったし、ちょっと寝てたんでナカナカ気づかなかったなりよ。いや、狐とか出てこないし、変だなあとは思ってたんだけどね。
とはいえ、おもしろかったですよ。なんか駄洒落みたいな節回しとか、放送禁止用語がバンバン出てくるところとか、阿呆は阿呆なだけあってみたいな言い様とか、あと越後屋?みたいな町人が箒でエアギターみたいなことする場面とか(文楽を深く理解している人から見れば失礼な解釈だとは思うけれど、そう見えたのね)。
舞台の上部に、全部台詞が映されるのが良いのか悪いのか。必死で聴こうとして理解する方がいいんじゃないのかしら。ちんぷんかんぷんなとこも多いけど、字幕でネタバレじゃないですか。
で、パンフレット確か650円だったのだけれど、そのわりにはしっかりしたつくりで、台詞が全部書いた本とか、ポスターのような相関図とかもあって随分お得でした。メガネをかけて、予習をして、もうちょっと前の真ん中の席でみたいなあと思いました。
私がものをしらなさすぎるのかいちばん驚いたのは、劇場内が明るいことかな。そのせいで、余計集中できないし、くっきりしないんだと思うのだけれど、なんか意味があるのでしょうか。まあ、寝ている人もすぐわかってしまうし。
しかし、心中した男女は二人ともあたしより若かったワ。19と27。27なのに紙屋には三人も子どもがいるし。しかし、最後の段は見ごたえがありましたよう。
マリネラに行って参りました。
常春の国。
ではなかったのでしょうか?
だってとても温かかったから。

煮えたぎった頭が命じ、この手がつかんだ中目黒での戦利品。
来年の手帳。
そして、ふにふにした仏像の背中には、
「にぎられよ さらば悟りは ひらけましょう」
と書かれている。
東さんから、「なかめはげいのうじんいっぱいだよ。EXのひととか、ふつうにいるよ」
などと吹き込まれていましたが、駅で見かけた人は、たぶんEXの人だった。誰が誰かわからないが。
しかし、中目黒では、お金では買えない大切なものをいただきました。

そして、上野での戦利品。
「おかしの山に登頂でスー」
今回かばんに入ったまま、出て来るタイミングを逸し続けたきぶなさん。
左側の水玉バッグはきぶな運搬用にちょうどよいサイズ。
カットよっちゃんは、湿っていて、黒みがかっていたので大量買い。
コンビニで手に入るものは、白っぽく乾いていたり、そもそも白かったりして、物足りなさを感じていたので。
しかし、メガサイズがあったとは。
眠い。
寒い。
でもまだ興奮さめやらず。
常春の国。
ではなかったのでしょうか?
だってとても温かかったから。

煮えたぎった頭が命じ、この手がつかんだ中目黒での戦利品。
来年の手帳。
そして、ふにふにした仏像の背中には、
「にぎられよ さらば悟りは ひらけましょう」
と書かれている。
東さんから、「なかめはげいのうじんいっぱいだよ。EXのひととか、ふつうにいるよ」
などと吹き込まれていましたが、駅で見かけた人は、たぶんEXの人だった。誰が誰かわからないが。
しかし、中目黒では、お金では買えない大切なものをいただきました。

そして、上野での戦利品。
「おかしの山に登頂でスー」
今回かばんに入ったまま、出て来るタイミングを逸し続けたきぶなさん。
左側の水玉バッグはきぶな運搬用にちょうどよいサイズ。
カットよっちゃんは、湿っていて、黒みがかっていたので大量買い。
コンビニで手に入るものは、白っぽく乾いていたり、そもそも白かったりして、物足りなさを感じていたので。
しかし、メガサイズがあったとは。
眠い。
寒い。
でもまだ興奮さめやらず。
土曜日に日帰りで、大乱歩展に行って参りました。
横浜だったけど、何とかなるもんですね。
相変わらずの収集、整理というか分類ぶりにウッとなりました。
書籍の収納箱作ったり、収納袋つくったり、目録カード作ったり。
製本が忙しいからと編集者を待たせたりもしたそうです。
しかし、小酒井不木との往復書簡(全)(もちろん手書き、もちろん自ら製本)があり、目次があって、要旨もまとめてあって、ワタクシお友達と文通なんぞしているので、そんなことされたら・・・と思ってしまったのでした。
あとは、乱歩の祖父母が作った百人一首があったのですが、読み札も取り札も手書きで、しかも百歌仙の絵(カラー)までついていて細やかさなぞは遺伝するのやもと思ったのでした。

↓ここからは、自分の頭を整理するためと愚痴ですから、読み飛ばしてくださいませ。
で、今回の横浜で行きで、お友達のCさんに会ったのですが、
みなさんご存知?の通り私たちはとても仲良しで、もちろんとても楽しかったのですが、
Cさんと会う前に友人のSくんからメールがあって、
「差し出がましいようですが、Cさんはいまちょっとしたチャレンジを控えていて、あなたから励ましてあげてくれないだろうか」という内容のことが書いてあって、
その時は、んっ?と思ったんだけれど、その違和感がなんなのかわからなくて、
てゆうか、Sくんと私は年に2回ぐらいしかメールしないし、こちらへきてからは一度もあっておりゃんせん。
それに比べて、私とCさんは週に2〜3、からもっとメールしているし、年に複数回は会っているし、うちの家族ともCさんは面識があるのよね。なんか、いってることおかしくにゃい?と思ったので、
「まあ、わかったけど、私たちはふだんから連絡を取り合っているし、まあ、接する中でなんか機会があったらそうするよ」と返事をしたのでした。
で、実際会って、別にふつうにしてたんだけど、なんか励ましっぽいことを言おうとしても、というか言おうとすること自体がSくんにいわされてる感がして、なんともいえない気持ちになったのでした。
私が誰かに何かをすることを貴様に指図される覚えはない!という不快感だったのだなあとつくづく思いました。まあ、Cさんに対する善意からそういうメールを私に送ってきたんだろうとは思うんだけど、方向性おかしいよね。Cさんに優しくする自分に自己満足したいだけなのに、超外野である私を巻き込まんでくれよと思ったのでした。
やはり、距離感が大切です。そこがつかめてない人とは、長くは仲良くできません。
すこし親密にしたからといって、全部を話していると思うような人とかも論外。
誰がいってたか忘れたけど、友人には縦糸の友人と横糸の友人がいて、(つまり、人生を進んでいく私とずっとともにあって、友人であり続けてくれる縦糸の友人と、同じ学校や職場だからとか、部活だからと、なんらかの共通項があって、人生のある一時、友人でいる横糸の友人)、
生きていく上で私も友人達もどんどん変化していくわけだから、いい縦糸が数本かあればそれでいいやと私は思います。まあ、同じ学校でも疎遠になるひともいるし、続くひともいるし、山さんみたなのもいるし、縦糸の要因はわからんもんです。
まあ、社会的人間としては横糸も環境順応のためには重要なんだけれども。
横浜だったけど、何とかなるもんですね。
相変わらずの収集、整理というか分類ぶりにウッとなりました。
書籍の収納箱作ったり、収納袋つくったり、目録カード作ったり。
製本が忙しいからと編集者を待たせたりもしたそうです。
しかし、小酒井不木との往復書簡(全)(もちろん手書き、もちろん自ら製本)があり、目次があって、要旨もまとめてあって、ワタクシお友達と文通なんぞしているので、そんなことされたら・・・と思ってしまったのでした。
あとは、乱歩の祖父母が作った百人一首があったのですが、読み札も取り札も手書きで、しかも百歌仙の絵(カラー)までついていて細やかさなぞは遺伝するのやもと思ったのでした。

↓ここからは、自分の頭を整理するためと愚痴ですから、読み飛ばしてくださいませ。
で、今回の横浜で行きで、お友達のCさんに会ったのですが、
みなさんご存知?の通り私たちはとても仲良しで、もちろんとても楽しかったのですが、
Cさんと会う前に友人のSくんからメールがあって、
「差し出がましいようですが、Cさんはいまちょっとしたチャレンジを控えていて、あなたから励ましてあげてくれないだろうか」という内容のことが書いてあって、
その時は、んっ?と思ったんだけれど、その違和感がなんなのかわからなくて、
てゆうか、Sくんと私は年に2回ぐらいしかメールしないし、こちらへきてからは一度もあっておりゃんせん。
それに比べて、私とCさんは週に2〜3、からもっとメールしているし、年に複数回は会っているし、うちの家族ともCさんは面識があるのよね。なんか、いってることおかしくにゃい?と思ったので、
「まあ、わかったけど、私たちはふだんから連絡を取り合っているし、まあ、接する中でなんか機会があったらそうするよ」と返事をしたのでした。
で、実際会って、別にふつうにしてたんだけど、なんか励ましっぽいことを言おうとしても、というか言おうとすること自体がSくんにいわされてる感がして、なんともいえない気持ちになったのでした。
私が誰かに何かをすることを貴様に指図される覚えはない!という不快感だったのだなあとつくづく思いました。まあ、Cさんに対する善意からそういうメールを私に送ってきたんだろうとは思うんだけど、方向性おかしいよね。Cさんに優しくする自分に自己満足したいだけなのに、超外野である私を巻き込まんでくれよと思ったのでした。
やはり、距離感が大切です。そこがつかめてない人とは、長くは仲良くできません。
すこし親密にしたからといって、全部を話していると思うような人とかも論外。
誰がいってたか忘れたけど、友人には縦糸の友人と横糸の友人がいて、(つまり、人生を進んでいく私とずっとともにあって、友人であり続けてくれる縦糸の友人と、同じ学校や職場だからとか、部活だからと、なんらかの共通項があって、人生のある一時、友人でいる横糸の友人)、
生きていく上で私も友人達もどんどん変化していくわけだから、いい縦糸が数本かあればそれでいいやと私は思います。まあ、同じ学校でも疎遠になるひともいるし、続くひともいるし、山さんみたなのもいるし、縦糸の要因はわからんもんです。
まあ、社会的人間としては横糸も環境順応のためには重要なんだけれども。
